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理事長挨拶
理事長 車田 修平
吉野山保勝会ホームページへようこそ

吉野山保勝会は大正五年に設立されました。

設立の趣旨は凡そ次のようなものです。 

理事長 車田 修平

公益財団法人 吉野山保勝会

理事長  車田 修平

吉野山保勝会設立ノ要旨
吉野山ハ、吉野朝五十余年間ノ旧都皇国ノ盛衰勤王ノ精華ヲ語ルモノ、必ズ逸ス可カラザル名区ナリ。
役行者修験道場ノ大本山トシテ、南都北嶺ト相対峙シ修験者及ビ朝野貴賤ノ崇敬措カザル霊跡ニシテ一目千株唯見白皚々山上山下桜花万朶ノ美観ハ、古来桜ノ勝地トシテ日本第一ノ盛名ヲ誇ル処。
明治維新ト共ニ寺禄絶ヘ、天下無比ノ名勝霊域モ昔時ノ盛況ヲ維持スルニ由ナシ。
而モ吊古ノ士、探詩ノ学生、将タ観桜ノ客、交通ノ開クルニ随ヒ、之ニ来往スル者、日ニ繁ク、月ニ盛ニシテ、亦一日モ荒廃ニ委ス可カラザル所ナリ。
是ニ於テ乎我等同志ノ者、奮然起テ吉野山保勝会ヲ設立シ、寄附金ヲ集メ旧跡ノ回復勝地ノ発揮ヲ企ツニ至レリ。
其事業ノ概目及規則ハ左記ノ如ク既ニ其筋ノ認可ヲ得タリ。
望ムラクハ大方諸士ノ深厚ナル同情ヲ得テ、斯ノ皇国無比ノ名勝霊域ヲシテ、長ヘニ千歳無朽ナラシメンコトヲ。


当初の組織としては、総裁に徳川朝倫男爵、副総裁に木川田奎彦奈良県知事、会長に和田常太郎吉野郡長、らの名が連なった極めて仰々しい記録が残されていますが、実際の活動は地元住民によって行われていたと思われます。
現在風に云えば地域の文化景観保存の為のNPO法人の走りと云うことも出来ます。
第二次世界大戦の后は設立の要旨に記された南朝遺跡や修験道場は各々個別の責任者が置かれたので、保勝会としての任務はそちらに引き継がれた為、桜樹林の保護育成が主たる活動となりました。
しかし、近年の少子化が生活習俗の変化は地元民による保存活動に限界を知らされるようになり、世界に誇る桜の見事さに危惧を感じざる得ない状態にあります。
今回、吉野山の桜の現状をより多くの人々にお知らせする事により、御賛同を得たく、このホームページを開設することになりました。